過去の雑誌を漁っていた所、面白い記事を見つけたので今日はその話でも致しましょう。

それは初代・若乃花の横綱昇進に際する相撲協会と横綱審議委員会の動向です。

今の内規が誕生したのは1958年1月ですが、その1月場所において初代若乃花は13勝優勝の成績を上げます。
先場所は3差ながら12勝次点の成績ですが、この場合は誕生して早々の内規に則した昇進基準なのかどうなのか。

相撲協会はこれに対して「若乃花を横綱に推挙した場合に問題になるかもしれないから」という理由で横審に諮問を行います。
実際には、12勝次点(3差)―13勝優勝の成績は昇進させるには甘く、問題になってくるのではとの考えが相撲協会にもあったのです。

これに対して横審の議論は紛糾します。
今でこそ準ずる成績の場合は出席委員の3分の2以上の賛成で横綱へ推挙が可能ですが、この当時は準ずる成績の場合は出席委員の全会一致の賛成が必要だったのです。

この時の横審メンバーは9人、当初は「時期尚早」が4人で「昇進妥当」が3人、残る2人は欠席でした。
議論を重ねた結果、「時期尚早」のうち3人がやむを得ないと軟化して「昇進妥当」に乗り換えるもただ一人、舟橋委員だけが頑として「時期尚早」を譲りませんでした。
若乃花が横綱の実力を持っている事は認めるが、このような成績で上げる必要はなくもっと良い成績の時に上げるべきだというのが舟橋委員の考えでした。
7人中6人が賛成に回っても、「全会一致」が必要なためにこのままでは若乃花は昇進見送りとなってしまうため、説得に説得を重ねた結果
舟橋委員の考えを「委員長一任」にまで譲歩させる事により横綱推挙が決まり、ついに若乃花が第45代横綱となったのでした。
また、これを契機に準ずる成績の場合、全会一致から三分の二以上の賛成に内規が修正される事となります。

なお、この議論の最中に相撲協会よりある資料が横審に手渡されます。
それが若乃花の大関直近10場所の成績が最近の四横綱である千代の山・鏡里・吉葉山・栃錦のそれよりも上回っているというデータでありました。

このデータを示す事で相撲協会は準ずる成績に説得力を持たせ推薦すべしとの力説を行ったのであります。
そしてこれには同調する横審も現れ、この相撲協会の秘策は功を奏した形となりました。


はて、どこかで聞いたような話ですね。

そうです、稀勢の里が12勝次点(2差)―14勝優勝の昇進には甘い成績に説得力を持たせるために横審に手渡された相撲協会が用意した資料。
それこそが稀勢の里の大関直近6場所の成績が最近の四横綱である朝青龍・白鵬・日馬富士・鶴竜のそれよりも上回っているというデータでありました。


歴史は繰り返しているのです。

横綱昇進に一年間の成績を持ち出すなんて聞いたことが無い?
いえいえ、相撲協会は内規誕生当初からこんな感じだったのです。


以上が、内規誕生後初の横綱・若乃花と平成最後の横綱・稀勢の里の甘い横綱昇進に対する面白い共通点でありました。