現在、相撲協会より諮問を受けたものの、横綱審議委員会が横綱昇進を見送った事例は3例あると言われています。

それが1968年5月場所後の玉の海1969年11月場所後の北の富士1994年9月場所後の貴乃花であります。

ですが実はもう1例、相撲協会からの諮問を横審が見送った事例があったのです。


それが1961年11月場所後の佐田の山です。


1961年11月場所、先場所では13勝次点の準ずる成績であった佐田の山はこの場所を綱取りとします。

そして迎えた千秋楽、佐田の山は横綱大鵬と「勝った方が優勝」の相星決戦に臨むものの、残念ながら敗れて先場所に引き続きまたも大鵬に優勝を攫われる形での13勝次点となりました。

二場所ともに13勝ながら準優勝に終わった佐田の山ですが、相撲協会は打診という形で横審に諮問を行う事とします。

そして始まった横綱審議委員会ですが、その時の横審では病気や旅行での欠席が相次ぎ実際に出席したのは3人だけでありました。
協会から諮問があれば私は賛成していいと思っていた」として賛成の委員もいたものの、
残りの2人に加えて電話で慎重論を言ってきたもう1人の委員は反対の立場をとり、3対1で昇進は見送りとなりました。
大関になってから大鵬に一度も勝てていない事に加え11月場所では柏戸・栃ノ海の2横綱の休場もあり、もう一場所待った方がいいとの結論であります。

しかし、この時点でもまだ佐田の山の横綱昇進には一縷の望みがありました。
大鵬と柏戸の横綱同時昇進における動向でも話しましたが、番付編成会議で横綱に推挙してしまうというやり方なのです。

実際に相撲協会内部では佐田の山の昇進を積極的に進めたい意向もあったため番付編成会議では横審の答申とは別個の立場、つまり相撲協会独自の立場として佐田の山の横綱問題が審議されました。

そしてその会議では40分にも及ぶ討議の末、見送りという事で佐田の山の横綱問題は終止符が打たれます。

会議のトップに佐田の山の横綱問題が議題に上がり、昇進させてもいいという意見も多数ありましたが、成績の面で多少横綱の条件に欠けるところがありましたので、このたびは横綱に推薦しないことに決定しました
この報を聞いた佐田の山は落胆した様子もなく「初場所にすべてをかける」と、継続された綱取りに闘志を燃やします。

そして翌場所、佐田の山は13勝優勝の成績を上げ、見事に第50代横綱に昇進致しました。


このように、相撲協会から横審への諮問があったものの、見送られた佐田の山の事例ですが、御承知のようにほとんど知られておりません。
13勝次点―13勝次点ではあまり昇進の機運がなく、また、打診という形で行われた正式な諮問ではないという事もあるのかもしれません。
しかし、このような諮問の仕方は既に初代若乃花の昇進時に一度行われております。
内規誕生後初の横綱・初代若乃花に見る横綱昇進基準で説明したように若乃花の12勝次点(3差)―13勝優勝の成績では昇進基準として弱いため、若乃花の横綱昇進に際しても相撲協会は「仮定の話」として横審へ諮問を行っているのです。

佐田の山の諮問を諮問ではないとするならば、佐田の山と似たように「仮定の諮問」で横審に推挙され昇進した若乃花は「横審への諮問無くして横綱になった」とされなければいけないはずなのです。
なので、この佐田の山の事例はやはり玉の海・北の富士・貴乃花と並び、相撲協会より諮問を受けたものの、横綱審議委員会が横綱昇進を見送った事例と言えます。