これまで過去において、1970年頃までは準優勝ですらない11勝以下でも甘めの綱取りの継続となる場合もあると紹介しました。

例で言いますと

柏戸13勝優勝―12勝次点―10勝―11勝―12勝同点

北葉山12勝次点―12勝―11勝―8勝

豊山13勝次点―11勝―10勝

玉の海13勝優勝―10勝―13勝同点

などが11勝準優勝未満の成績、端的に言うとただの11勝や10勝での綱取り継続の事例として挙げられます。

ですが、これらはあくまでも複数の大関による横綱争いにしたいという相撲協会の思惑もあっての「同時綱取り」の場合であります。
柏戸の場合は大鵬と、北葉山・豊山の場合は栃光や佐田の山と、玉の海の場合は北の富士との同時綱取りとして、甘めの綱取り継続が許されたのです。


しかし、同時綱取りでもないにもかかわらず、このような甘い綱取り継続を許された大関が存在しました。

それが佐田の山です。

1962年3月場所、関脇で13勝優勝をして大関昇進を果たした佐田の山ですが、新大関となった翌・5月場所も勢いそのままに13勝次点の成績を上げます。
このまま一気に横綱かと騒がれるものの、7月場所では9勝止まりとなり始めての綱取りは失敗に終わります。
次のチャンスは翌・9月場所、13勝同点の成績を上げて早くも二度目の綱取りを目指す事となります。

二度目の綱取りである11月場所では、11勝の成績で終えます。
この次点ですらないただの11勝、現在の感覚で言えば綱取りは白紙の成績ですが、なんと次の場所で「優勝すれば横綱」と言われ綱取りは継続となります。

迎えた1963年1月場所の13日目までで佐田の山は12勝1敗と優勝争いに加わるものの、14日目と千秋楽では関脇豊山・横綱大鵬に敗れ手痛い二日連続黒星となり
この結果、14勝優勝・大鵬、13勝次点・豊山と準優勝にもなれずに12勝三位の成績となって優勝と横綱を逃してしまいます。
優勝と横綱は逃したものの再び綱取りは継続とされた次の3月場所では、残念ながら0勝5敗10休の途中休場となり散々な結果で綱はついに切れる事となりました。

綱取りの歴史を調べるに佐田の山13勝同点―11勝―12勝―0勝のこの成績こそが、同時綱取り以外では一番の甘い綱取り継続ではないかと思われます。

この成績での継続となった背景を考えるに、この前年に13勝優勝―12勝次点―10勝―11勝―12勝同点の成績で綱取り継続を続けた柏戸の悪例に倣ったために起こった、いわゆる「綱取り継続のタガが外れた状態」だったのでしょう。

始めに申し上げましたように、1970年までに見られる11勝や10勝での継続は現在では通らないと思われます。
実際に1994年の貴乃花14勝優勝―11勝―15勝優勝では横審へ諮問されるものの見送られて、以降は連続優勝原則という綱取りには厳しい時代に入りました。

11勝は調子の良い力士が普通に届く成績であり、例え同点の場合でも起点はおろか継続も認めるべきではないというのが私の考えであります。

しかし、今にして思えばかつて3代目若乃花が上げた11勝同点―14勝優勝の成績。
これを直近1年間でみると12勝次点―12勝次点―10勝―11勝次点―11勝同点―14勝優勝であり、単純に見れば準優勝4回・優勝1回と見栄えもそれなりにします。
もし、稀勢の里が2016年初場所からこの成績だったならば、11勝同点した段階で横綱を騒がれ、14勝優勝で昇進ムードが高まっての横綱昇進もあり得たかもしれません。
そういう画が簡単に想像出来てしまいますが、私はやはり断固として11勝準優勝での綱取りは起点も継続も認めるべきではなく、さらに上で紹介したような11勝や10勝は現在ではナンセンスでありもってのほかと思っております。