これまで、様々な綱取りの事例を紹介してきましたが、今回は綱取り経験の多かった大関は誰かというのを紹介しましょう。


綱取り最多の大関、それは小錦です。

小錦の綱取りの起点、または継続となった場所が以下になります。

①1988年1月 13勝次点

②1989年11月 14勝優勝

③1990年3月 13勝同点
④1990年5月 12勝

⑤1991年5月 14勝同点
⑥1991年7月 12勝次点

⑦1991年11月 13勝優勝
⑧1992年1月 12勝
⑨1992年3月 13勝優勝

ご覧のとおり、継続の多さも相まって綱取りの数は実に9回に及びます。
小錦の綱取りは以前にも何度か紹介してますので、説明は省くとしましてやはり最後の13勝優勝―12勝―13勝優勝が実に惜しいと言えます。
間の12勝が13勝ならその時点で昇進してたでしょうし、そうでなくとも12勝次点だったならば継続からの13勝優勝で昇進となっていたはずです。
もっとも、14勝優勝の平幕貴乃花、13勝次点の小結曙に続く12勝三位の成績であったために継続扱いとされたものの全勝レベルの優勝が必要と言われてはいましたが
いざ小錦の優勝が近付くと千秋楽を待たずして「連続優勝でないから優勝しても昇進は無い」と相撲協会が言い出したのは誠に差別的な話だとは思いますがね。


というワケで綱取り最多の大関は小錦ですが、一応2番目に多い綱取り経験の大関も紹介しておきましょう。


小錦に次ぐ綱取り経験者、それは旭富士です。

同じように旭富士の綱取りの起点、または継続となった場所を見てみましょう。

①1988年1月 14勝優勝
②1988年3月 12勝
③1988年5月 12勝次点

④1988年11月 12勝次点
⑤1989年1月 14勝同点
⑥1989年3月 13勝次点
⑦1989年5月 13勝同点

⑧1990年5月 14勝優勝

こちらも継続の多さもあり綱取りの数は8回となっております。
なお、1988年11月場所の12勝次点ですが、こちらは正式には綱取り起点とはなっておりません。
ですが、翌・1989年1月場所では優勝すれば横綱という認識が広く出来ていたために実質綱取りとしてカウントしました。
旭富士の綱取りも以前に紹介しましたので説明はしませんが、彼の場合は12勝次点―14勝同点―13勝次点―13勝同点のどこかのタイミングで横綱に昇進していてもおかしくはありませんでした。

このように、小錦旭富士が綱取り回数の1位2位でありました。
こうなった背景には双羽黒廃業直後により横綱昇進基準が厳しくなったあおりをもろに食らったという事が要因と見てもいいでしょう。
実際に旭富士の1988年11月場所~1989年1月場所の「12勝次点―14勝同点」などは、単純に成績だけみれば双羽黒が横綱に昇進した成績と同じであり、以前ならここで昇進という事もあり得たわけであります。
小錦にしても1989年11月場所~1990年3月場所の「14勝優勝―10勝―13勝同点」は玉の海が昇進した「13勝優勝―10勝―13勝同点」よりも成績が良いため、以前ならこの時点で横綱という事もワンチャンスあったかもしれません。

もちろん、ただ単純にどちらも「二場所連続優勝または準ずる成績」という内規に沿った決定打が無かっただけとも読み取れる成績ですが、双羽黒廃業直度という時代背景あっての最多綱取りだと私は思っております。