前回はIfの話として、もし連続優勝原則の時代だったあの大関が昭和の時代にその成績だったならという仮定の話で武蔵丸の綱取りを見ていきました。
今回も、別の大関を見ていく事とします。


貴ノ浪の場合

貴ノ浪についてもあと一歩の所で優勝を逃していた印象がありますが、史実では綱取りは優勝を起点とする2回だけであります。
これがもし、昭和の時代の綱取り基準ならどうなっていたのか。
私なりの推察は以下のようになりました。

①1994年3月 12勝同点

②1994年11月 12勝次点

③1996年1月 14勝優勝

④1996年5月 12勝次点
⑤1996年7月 12勝次点

⑥1997年11月 14勝優勝

貴ノ浪も惜しい成績の連続でいろいろと悩む所もありましたが、綱取りの起点や継続になる場所は6回まで増えるだろうという結論になりました。

順に説明しましょう。

の12勝同点は新大関の場所に叩きだしており、関脇から見ると10勝―12勝―13勝次点―12勝同点と、12勝ながらも綱取りの起点とするには十分な成績となっております。

の12勝次点に関しましては、全勝優勝した貴乃花に3差離されての準優勝のために本来ならば綱取りとはならないと言いたいところですが、この先場所・先々場所と次点ではありませんが連続で12勝を叩きだしているのです。
さらに、一年間の成績で見ても関脇からでありますが13勝次点―12勝同点―9勝―12勝―12勝―12勝次点6場所中5場所が12勝以上の好成績であり
これが昭和の時代なら3差離された12勝次点でも、「優勝すれば横綱問題が出てくる」という昔の言われ方、すなわち実質綱取りくらいは成りえるのではないかと判断しました。

の12勝次点は14勝優勝した貴乃花とは2差ながらも千秋楽まで優勝争いに加わり、さらに先々場所・先場所が14勝優勝―11勝と、綱取り場所が11勝で横綱が消えた直後の12勝次点という事も酌量し、ここも実質綱取りの起点となりうるとみました。
また、も同じく継続として扱われる12勝、しかも千秋楽にもし勝っていれば貴乃花との優勝決定戦になっていた1差次点という事で継続扱いとしました。

この様に、惜しい成績もあり綱取り回数も昭和の時代ならここまで増えるであろうという予測を立ててみましたが、この中でも一番横綱に惜しかった成績はどこか。


ずばり、の14勝優勝だと思われます。


実はこの前の場所である1997年9月場所では、12勝の成績を上げているのです。
しかしこの時は12勝ながらも三位であり、12勝三位を起点とする綱取りは同時綱取りの事例を除き一度も無かったために私も上の表にも加えませんでした。
ですが、この12勝三位は13勝優勝の貴乃花13勝同点の武蔵丸に続く1差三位であり、もし千秋楽で対戦した武蔵丸に勝っていれば貴乃花との優勝決定戦にもつれ込んでいた、限りなく準ずる成績に近い12勝三位だったのです。

前にも少し説明しましたが直近二場所だけ見るならば、見方によっては「12勝次点(2差)―14勝優勝」で横綱昇進した稀勢の里よりも準じていたとも言えるわけであります。

方や稀勢の里は14日目に優勝を決められた末の2差ついた12勝次点
方や貴ノ浪は千秋楽に勝っていれば優勝決定戦となっていた1差の12勝三位

勿論他にも補強材料はあるかと思いますが、単純に「優勝への物差し」として見た場合、皆様はどちらが準ずる成績に近いと見るでしょうか。


優勝の重い軽いはその場所その場所で変わってきますのでこの辺は運不運もあるかと思いますが、もしここが同じ12勝でも三位でなく次点ならば
12勝次点―14勝優勝で昭和の時代なら昇進も議論された可能性があります。
惜しむらくは曙・貴乃花・若乃花・武蔵丸という、4人の横綱の時代と重なったという事でしょう。
しかし、その成績は確かに横綱に近かった名大関と言えます。