2020年03月

昭和33年1月6日に現在の内規が出来て以降、これまでに初代若乃花から稀勢の里まで、28人の横綱が誕生しております。

そこで、今回は昇進前二場所において昇進基準のランクを独自に設定し、28人の横綱をAランクからEランクまで5段階に振り分けました。
そのランクの基準ですが

Aランク:二場所連続優勝
Bランク:優勝+準ずる成績
Cランク:優勝+準ずると見なせる成績
Dランク:二場所ともに準ずる成績
Eランク:準ずる成績ではない


と設定しました。
無論、これは横綱のランク付けではなく、単純に昇進前二場所(ないしは三場所)を見てのランク付けですので、これと横綱としての実績はまた別の話となりますのであしからず。



Aランク:二場所連続優勝
貴乃花、日馬富士、朝青龍、白鵬、琴櫻、旭富士、曙、北の富士、武蔵丸、三代目若乃花、大鵬

これらは単純に二場所とも優勝なので昇進の可否を巡る議論とはなりにくいため、名前だけで流しておきます。


Bランク:優勝+準ずる成績
鶴竜        14勝同点―14勝優勝
北の湖        13勝優勝―13勝同点
輪島        13勝次点(1差)―15勝優勝
隆の里        13勝次点(1差)―14勝優勝
千代の富士    13勝次点(1差)―14勝優勝
佐田の山    13勝次点(1差)―13勝優勝


これら二場所で優勝と、13勝以上の準優勝での昇進をBランクと設定しました。
いずれも千秋楽まで優勝争いを繰り広げた末の同点または1差次点となっており、十分に準ずる成績と言えます。


Cランク:優勝+準ずると見なせる成績
北勝海        12勝優勝―13勝次点(2差)
稀勢の里    12勝次点(2差)―14勝優勝
初代若乃花    12勝次点(3差)―13勝優勝
栃ノ海        14勝優勝―13勝三位(2差)


Cランクに設定したのは二場所で優勝と、12勝以上で2差以上離されての準優勝ないしは三位であります。
この辺になると2差以上離されているので準ずる成績と見なすためには何かしらの理由、加味する好材料が必要となってきます。
あと、たまに準ずる成績は準優勝ではないとおっしゃる方もおられますが、綱取りを研究してきた私に言わせると「準ずる成績≒準優勝(12勝以上)」です。
しかしこれはあくまでも土台であり、ここから様々な判断が成されてどこまで骨組みから昇進という肉付けへと繋がるかが重要であるという事が私の研究の今のところの答えであります。
このCランクは、そんな骨組みや肉付けが上手く出来上がった準ずる成績での横綱昇進と言えます。

北勝海の場合は2差ついた13勝次点ですが、これは全勝優勝した大乃国を1差で追っての千秋楽直接対決でした。
この場合、仮に大乃国に勝利すると、共に14勝と並び優勝決定戦となるため、自力優勝の可能性を持っております。
結果は大乃国に負けて2差付きましたが、優勝への物差しとして見ると準ずる成績と見なせます。
もう一つの懸念材料としては北勝海の綱取り起点となる優勝が12勝と優勝成績が軽い事ですが、この12勝優勝―13勝次点(2差)という成績に対して、相撲協会や横審は「稽古熱心」という理由で横綱昇進としました。

稀勢の里の場合はただでさえ12勝次点という準ずる成績には低い星に加えて、14日目に横綱鶴竜に優勝を許してしかも2差という懸念材料があります。
これに対して相撲協会や横審は「年間最多勝」「年間勝率が8割超え」「二場所で横綱戦4戦4勝」などの複数の好材料を基にして二場所だけではない総合的な判断として横綱昇進としました。

初代若乃花の場合は14日目に平幕玉乃海に優勝を許しての12勝次点(3差)、さらに綱取り場所での優勝も13勝と、稀勢の里以下の成績であります。
しかし、この時に全勝優勝した玉乃海は平幕下位であり、横綱や大関との取組が一番もなかったため
この場所で役力士+平幕上位グループでは12勝次点だった若乃花と、同じく12勝次点だった横綱栃錦の二人が実質的な最優秀成績者と見なす事も出来ます。
その場合、少なくともこの「12勝次点(3差)」は、「12勝同点」並の効力を持つという考え方も出来ますので、見方によっては準ずる成績とも見なせるわけであります。

栃ノ海の場合も起点となる場所は14勝優勝と立派ですが、綱取り場所では13勝三位と、1差でもなければ次点ですらない成績であります。
しかし、13番勝った事。そして初代若乃花と同じ様に、この場所で14勝次点だった清國は平幕下位であり、横綱や大関との取組が一番もなかったため
栃ノ海を実質的な次点者と位置付け、準ずる成績と見なしての横綱昇進となりました。


Dランク:二場所ともに準ずる成績
二代目若乃花    13勝同点―14勝同点
三重ノ海    13勝次点(1差)―14勝同点
双羽黒        12勝次点(1差)―14勝同点
大乃国        12勝次点(2差)―13勝次点(1差)


二場所連続優勝が基本である内規にとって、二場所とも優勝ではないというのは横綱昇進を議論する上で非常に見栄えが悪く、この場合はよほど準ずる成績が良い場合にのみ横綱昇進が限られてきます。
そんな二場所連続準優勝(準ずる成績+準ずる成績)をDランクとしました。

二代目若乃花の場合は唯一の二場所ともに同点での横綱昇進となっております。
大関で既に一度の優勝経験があり、さらにこの連続同点の前の場所でも13勝の次点。
優勝経験を持つ大関が三場所連続で13勝以上の準優勝ならば横綱昇進の条件は十分と言えるでしょう。
ちなみに私の愛読書である「横綱昇進」の中で著者の日高将氏は「同点+同点は、優勝+次点と互角の価値がある」と述べています。
なお、この綱取り場所においては既に13勝次点―13勝同点という実績があるからか、13日目で横綱輪島に勝利した段階で中立審判副部長の「一応横綱を倒したのだから13勝2敗でも番付編成会議では話が出るだろう」という発言もあり
事実、14日目に横綱北の湖に勝利して星を13勝とすると優勝争いの真っただ中にも関わらず、千秋楽を待たずして早々に横綱昇進が内定となりました。
千秋楽にも本割で勝利し14勝同点で優勝は逃しますが、実際には13勝次点―13勝同点―13勝次点の成績でも横綱に昇進していたわけであります。

三重ノ海の場合は二代目若乃花と二場所の星数は同じですが、起点となる場所が同点ではなく次点であるという所が異なります。
しかし、この前年に若乃花を似たような状況で横綱に昇進させた手前、少々甘くはありますがこれも認められたという事なのでしょう。
なお、この綱取り場所において三重ノ海は14日目に横綱北の湖を破って13勝した時点で横綱昇進濃厚とする声もありました。
結局は千秋楽でも横綱輪島を破り、優勝は逃したものの3横綱撃破の末の14勝同点という事で二場所ともに優勝が無くとも横綱昇進となりました。

双羽黒の場合は横綱千代の富士との勝った方が優勝の千秋楽結びの一番の相星決戦に負けての12勝次点、翌場所は千秋楽結びの一番で千代の富士に勝ったものの優勝決定戦では負けての14勝同点。
二場所ともに千秋楽、最後の最後まで横綱千代の富士と優勝を競い合った末に敗れての連続準優勝であり、どちらも準ずる成績だと言われればそうかもしれません。
しかし、双羽黒の横綱昇進を議論するには一つ、重大な欠点がありました。それは、優勝経験が無い事です。
本来ならば「優勝を経験した事が無い横綱」という矛盾した存在を作るわけにはいかないはずですが、何しろ双羽黒には若さ・才能・素質・伸びしろがありました。
その様な期待値を込めての横綱昇進となりましたが、結果は優勝を経験する事の無いまま騒動を起こし廃業するという横綱としての汚点を残す事となりました。
今後はやはりどんなに準ずる成績を重ねても、優勝経験が無い大関を横綱に昇進させる事はしない方が良いと思います。

大乃国の場合は全勝優勝からの12勝次点―13勝次点であり、継続として三場所見る必要がありますが、一応二場所では連続準優勝となります。
12勝次点(2差)―13勝次点(1差)のどちらも一応は千秋楽まで優勝争いに加わっており、現在でも全勝優勝の後のこの成績なら横綱昇進は十分にあり得る話です。


Eランク:準ずる成績ではない
三代目朝潮    11勝次点(3差)―13勝次点(1差)
玉の海        10勝―13勝同点
柏戸        11勝―12勝同点


このEランクに位置する3横綱の3例に対しては当時の状況が作り出した横綱昇進であり、現在の昇進基準では無理筋だろうなというのが正直な感想であります。

三代目朝潮の場合は大乃国と同じように14勝優勝からの11勝次点―13勝次点と継続のために三場所を見る必要がありますが、本来は11勝次点の段階で綱取りは白紙とならなければなりません。
個人的にはたとえここが11勝同点でも継続させるべきでなく、綱は切れたとしなければならないと思っております。
では何故朝潮がこの成績で昇進したのか。それはすでに朝潮が優勝を4回もしていたからという事であります。
実際に朝潮は4回目の優勝となる14勝優勝の時に、二場所においては準優勝ですらない11勝―14勝優勝という成績で横綱昇進が議論されているのです。
その理由こそが4回目の優勝だからという事で、横審への諮問はなかったにも関わらず番付編成会議では30分に渡って朝潮の横綱昇進が議論されました。
結果は「内規に沿っていない」という当たり前の話で見送られましたが、この「優勝4回」という実績は後に11勝次点を継続扱いと見なしての横綱昇進となりました。

玉の海の場合も大乃国・朝潮と同じように13勝優勝からの10勝―13勝同点と見た方が良いのかもしれません。
しかしこの場合は間に10勝が入っており、一応は優勝―準優勝―準優勝であった朝潮以下、昇進議論の余地すら無いはずの成績です。
では何故玉の海がこの成績で昇進したのか。それは同時昇進した北の富士の存在です。
相撲協会は柏鵬時代の再来を狙って北玉時代到来かと北の富士と玉の海の横綱先陣争いを喧伝しておりました。
また、かつて12勝次点―13勝優勝12勝次点―12勝次点の2度、横審から見送られるといった惜しくも横綱昇進ならずという実績も加味されての総合評価として、この場所で13勝優勝―13勝優勝となった北の富士と同時の横綱昇進となりました。

柏戸の場合は二場所が11勝―12勝同点、三場所前を見ても10勝と、横綱昇進なんてどだい無理な成績であります。
一応、柏戸の横綱昇進の見方として二場所ないしは三場所を見ていますが、実際には10勝も11勝も継続扱いであり正確に柏戸の綱取りを見るとすると
13勝優勝―12勝次点―10勝―11勝―12勝同点という優勝から継続を3回続けての昇進という見方が正しいと言えます。
とは言っても10勝や11勝で継続扱いという判断自体が現在の感覚ではあり得ない状況なのは一目瞭然です。
では何故柏戸がこの成績で昇進したのか。それは同時昇進した大鵬の存在です。
相撲協会は柏鵬時代の到来かと大鵬と柏戸の横綱先陣争いを喧伝しておりました。
この場所で13勝優勝―12勝優勝の連続優勝を果たした大鵬は当然に横綱昇進ですが、この大鵬の連続優勝は柏戸との互いに意識し合ったライバル同士の横綱先陣争いの結果であり
柏戸がいたからこそ大鵬もこの成績を残せたという謎理論で「だから柏戸も横綱に」という斜め上の理由から大鵬のオマケとしての横綱同時昇進となりました。



ここまでAランクからEランクまで紹介しましたが、綱取り研究家の私としては注目するところはCランクとDランクです。
Aランクは当然に、Bランクはまあ普通に、Eランクまでいくともはや横綱昇進はありえませんが
やはり準ずる成績としてはギリギリのラインをどう見れば昇進するのかはたまた見送られるのか。
そこが私としては面白く、そして魅力的なのであります。






前回に引き続き、今回も二場所であと1勝の星の上積みがあれば昇進議論の可能性があったかもしれない横綱になれなかった大関を紹介します。

繰り返しになりますが、あと1勝したとしても、その1勝をする事によってその後の取組や相撲内容、他の力士の対応も変わったはずなので
これはあくまでも「データ上」での事ということを念頭に読んで下さい。


小錦の場合

魁皇と共に横綱になり損ねた大関と聞いて話題にあがるのがこの小錦でしょう。
実際に彼の成績は横綱昇進まで非常に惜しく、あと1勝という所まで横綱に迫った成績は4度存在します。

その1

1990年3月場所 13勝同点
1990年5月場所 12勝

こちらは加えるかどうか非常に迷いましたが、一応迫ったと言う事で紹介しておきます。
1990年5月場所では小錦は14勝優勝の旭富士に負けておりますが、もし旭富士に勝って1勝の上積みがあれば13勝で旭富士・千代の富士と並ぶこととなり優勝決定巴戦となっていました。
優勝決定戦で負けたとしても13勝同点―13勝同点となり横綱昇進には弱いかと思いましたが一応は14勝優勝―10勝と来たあとに連続で13勝の同点ならば昇進議論にはなったかと思われます。


その2

1991年5月場所 14勝同点
1991年7月場所 12勝次点

これもその1と同じ理由で加えるか迷いましたが、それよりは好成績という事でこちらも紹介します。
1991年7月場所では小錦は14勝優勝の琴富士に負けておりますが、もし12日目に行われた琴富士との直接対決に勝って1勝の上積みが成されていれば13勝で琴富士と並び優勝決定戦となっていました。
優勝決定戦で負けたとしても14勝同点―13勝同点となり、優勝はありませんが二場所とも十分に準ずる成績と言えます。
二場所連続の優勝同点で昇進したのは二代目若乃花がおりますが、その昇進時の成績が13勝同点―14勝同点でした。
こちらは14勝同点―13勝同点と逆になりますが、やはりこの成績ならば昇進議論にはなってしかるべきです。


その3

1991年9月場所 11勝
1991年11月場所 13勝優勝

こちらはその2で紹介した12勝次点の翌場所・翌々場所の二場所となっております。
1991年9月場所では小錦は13勝優勝の琴錦に負けておりますが、もし琴錦に勝って1勝の上積みがあれば12勝で琴錦・霧島と並ぶこととなり優勝決定巴戦となっていました。
優勝決定戦で負けたとしても12勝同点―13勝優勝です。
しかもこれはその214勝同点―12勝次点からの続きであり、14勝同点―12勝次点―12勝同点―13勝優勝という綱取り継続からの優勝となるこの成績ならばさすがに横綱に昇進したかもしれません。


その4

1991年11月場所 13勝優勝
1992年1月場所 12勝

さらに続いてこちらはその3の翌場所です。
1992年1月場所では貴乃花(貴花田)・曙という二人の若手力士の旋風に圧され12勝三位止まりとなってしまいました。
この場所では14勝優勝の貴乃花に敗れた5日目の取組。ここで貴乃花に勝つ事で1勝の上積みとなれば貴乃花・曙と並んで13勝での優勝決定巴戦になっていました。
優勝決定戦で負けたとしても13勝優勝―13勝同点となり、これは横綱北の湖の横綱昇進時の成績と同じであります。
また、仮にここで残酷にも見送られたとしても翌場所はまたも13勝優勝であり、13勝優勝―13勝同点―13勝優勝なら間違いなく横綱に昇進していた事でしょう。

小錦の1991年5月場所からの1年間は14勝同点―12勝次点―11勝―13勝優勝―12勝―13勝優勝とあと1勝の上積みがあればという場所が3回も存在します。
というよりは、この成績なら1勝の上積み関係無しに横綱に昇進していてもおかしくはありません。
相撲協会や横審は、小錦の土俵態度うんぬんなど品格面に対してことさら大きく問題にしたりといった事を行っており、よほど小錦を横綱にしたくなかったのでしょう。


貴ノ花の場合

1977年1月場所 12勝次点
1977年3月場所 13勝次点

横綱貴乃花の父親であり、その人気も高かった貴ノ花ですが、あと1勝の上積みがあれば昇進だったであろう成績は、二度の優勝の翌々年に突如として訪れます。
1977年1月場所、13勝で優勝したのは横綱輪島でしたが、その輪島に敗れた13日目の取組で輪島に勝って1勝の上積みがあれば、輪島との勝敗が逆転して13勝で優勝していたのは貴ノ花の方だったのです。
13勝優勝―13勝次点という成績ならば貴ノ花の人気も相まって横綱には高確率で昇進していた事でしょう。


貴ノ浪の場合

1997年9月場所 12勝
1997年11月場所 14勝優勝

曙・貴乃花・若乃花・武蔵丸という四横綱時代の名大関であった貴ノ浪ですが、当然彼にもあと1勝に迫る成績がありました。
1997年9月場所、この時の貴ノ浪は13勝優勝の貴乃花・13勝同点の武蔵丸に次ぐ12勝三位の成績でありました。
もし貴ノ浪にこの場所で1勝の上積みが成されていれば、13勝で貴乃花・武蔵丸と並び優勝決定巴戦となっていました。
優勝決定戦で負けたとしても13勝同点―14勝優勝の成績で普通ならば横綱昇進だと言うところですが、この当時は二場所連続優勝が原則の時代であり、実際にこの場所で13勝同点の武蔵丸は翌場所綱取りと認められなかったり
弟弟子の貴乃花が14勝優勝―13勝同点で諮問すらされなかったりといった非常に厳しい時代でした。
しかし、一応は13勝同点―14勝優勝の成績なら昇進の可否はともかく昇進議論は起こったとは思います。


以上の魁皇、栃東、若嶋津、小錦、貴ノ花、貴ノ浪の六大関が、二場所であと1勝の星の上積みがあればという所まで迫った大関止まりとなりました。
魁皇・若嶋津・小錦・貴ノ花は、優勝した力士との直接対決に負けたという1敗が重くのしかかって横綱昇進を逃した形となっております。

ちなみにこの1勝の上積みを横綱の大関時代の成績もピックアップすると、該当者が10数人も出て来てしまいます。
まあ横綱になるほどの力士なのでそんな成績は当然といえば当然なんでしょうが、それを紹介するかどうかはまたの機会という事で。






↑このページのトップヘ